北の狼 アテルイ
日本のスパルタ「エミシ」を率いた漢の人生
1000年前、現在の東北地方には、最強の戦士国家があったことをご存知ですか?その名は、「エミシ」。彼らは、圧倒的な身体能力と、1人の英雄「アテルイ」によって、南の大和朝廷と血で血を洗う抗争を戦っていました。
戦国時代の「武士」のモデルともなったアテルイの武勇を、説明していきます。
エミシってなによ? 少数精鋭部隊
こういう漢たちの集まった国です。基本的に農耕はせず、狩猟が基本です。
キャプテンはアテルイ。
文字通りスパルタ教育を受けて育ってきているので、各々の身体能力はウサインボルトのレベルに達しています。
彼らの唯一の弱点は、畑がなく、そもそも寒いので、人口が少なかったことです。
経済大国「ヤマト」 ザ・農耕民族
エミシの敵、それこそ我らが日本「ヤマト朝廷」!
ヤマト人は、身体能力は低いんですよ。しかし、頭数がとにかく多い。
暖かいし、韓国からコメの作り方を学んでいたからね!
桓武天皇 金持ちのホモ
で、彼らのキャプテンはコイツ(ホモっぽい)
桓武天皇です。彼には、生涯をかけて成し遂げたいことが2つありました。それは
- 平安京への遷都
- エミシをツブす
1つめの平安京への遷都はなんとか達成しました。写真の背景になっているライオンの像とかあるところが平安京です。
一方で、エミシには負けっぱなしでした。映画「300」よろしく、たった300のエミシ兵で4000のヤマトをぶっ倒してしまったのです!
桓武天皇、ブチ切れます。で、自分的には嫌いだけど、戦う能力はずば抜けているヤツを、討伐隊隊長に任命し、なんとかエミシの土地を奪おうと考えました。
彼も漢っぽい性格なんですよ。ホモの桓武天皇の言うこととかあまり聞かないタイプ。しかし、部下からの信頼は厚く、何より、相手を見極めることに優れていました。
圧倒的な数の差
ここから、2人の漢「アテルイ」vs「坂上田村麻呂」の決戦が始まります。
しかし、この決戦、いきなり2人の頂上決戦とはいきませんでした。
まずはじめに田村麻呂が仕掛けた作戦、それが、「懐柔策」です。これは、アテルイの家来に金を渡し、アテルイから離れるように説得するというものでした。
今までは、数の力で押し切ろうとしていたヤマト。田村麻呂は、それでは、同じ敗北を喫することを見切っていたのです。なにしろ、相手は稀代のカリスマ、アテルイ。正攻法では、軟弱なヤマトでは、数をいくら揃えたところで、ボコボコにされます。
田村麻呂は、エミシの一番のストロングポイントは、「団結」にあると考えました。彼らの家族的なつながりが、「兵役」により嫌々参加しているヤマト軍との士気の差を生んでいたのです。
そのつながりを断つべく、着々と外堀を崩していきました。
決戦 互角のつばぜり合い
戦いは日に日にヤマト側に傾いていきました。しかし、アテルイもあの手この手で盛り返します。そんなこんなで、ついに決着の日がおとづれました!そのシーンが、こちら
左が田村麻呂 右がアテルイ
両者は、白熱の死闘を繰り広げました。ですが、結局命を奪うことはなく、和解しました。
戦ううちに優れた豪傑同士、通じ合うものがあったのでしょう。またなによりも、この両者には、自分の部下や兵士を守る「親」としての責任がありました。
ここで、どちらかがどちらかを殺してしまえば、壮絶な「弔い合戦」が生じます。アテルイも田村麻呂も、そんな時代は望みませんでした。戦いは、自分たちの世代で終わらようとしていたのです。
最終的には、アテルイが降伏するという形で幕引きを迎えました。「ヤマトには従うが、引き続きアテルイがエミシを治める」という条件で
裏切り アテルイこわいからね
しかし、さっきのホモ、この結論に満足しませんでした。なぜなら彼は、ある恐怖に怯えながらいきていたからです。それが「怨霊」です。
身の回りの人を多く失っていた桓武天皇は、過剰に「呪い殺される」ことを恐れていました。なので、アテルイを京都まで呼びだし、いきなり拘束して、処刑してしまいました。
怒り狂う田村麻呂 そりゃそうよ
これをきいた田村麻呂、激怒します。当然ですよね。何より、アテルイは田村麻呂を信頼して、都まで行ったのですから。この2人の間には戦友としての絆が生まれていたのです。
田村麻呂は自分のふがいなさを悔やんだでしょう。そして、彼は残された人生を、エミシの弔いに捧げます。有名な「清水寺」は、そんな思いを込めて田村麻呂が創建したお寺です。
感想 そうだ、京都行こう
この後、エミシはヤマト朝廷に、再び歯向かう道へ進み、戦いは泥沼化していきます。
リーダーを失ったエミシが意味するもの、それは戦いを終わらせるひとがいなくなったということです。
ゲリラ戦中心となった戦いは、互いに多くの死者を出しながら、結局は明確な決着がつかないまま平安時代が終わり、収束していきます。
アテルイと田村麻呂の「戦いを終わらせる」という夢は、桓武天皇の裏切りによって、果たされなかったのです。
桓武天皇は、日本史では評価が高い天皇といえます。一方でアテルイは、最近までは、野蛮な統率者として描かれていました。当時の貴族たちの彼への恐れからくる
「野生獣心、反復して定まりなし」
「野蛮な獣であり、いつまた暴れるかわからない」
という評価が、そのまま反映されていたのです。
しかし、視点をエミシ側に据えると、アテルイは、皆のヒーローとして映ります。
エミシは、ここから苦難の道を歩みます。特に江戸時代には、エゾと名前を変えながらも、厳しい搾取を受け、明治には、同化政策の被害者となります。
そんなエミシにとって、アテルイの活躍は、歴史上最大の名誉と言えるでしょう。
今度京都観光に行く時には、エミシの気分になって、清水寺に立ち寄ろうと思いました。