壮絶!!!「私を忘れてください」 叶わぬ恋の歌から学ぶ、散り際の美しさ
「会いたくて会いたくて震える」だの「生まれ変わってもまた君を好きになる」といった恋愛観を鼻で笑う王子を知っていますか?
本日紹介する偉人は、藤原道雅!!
彼は、百人一首にこんな歌を残しています
「今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで 言ふよしもがな」
「もはや、あなたへの想いをあきらめてしまおう、という
ことだけを、人づてにではなく(あなたに直接逢って)言う方法
があったらなあと思うだけです。」
この歌の解説の前に、詠まれた背景を説明します
背景 身分社会の底辺
まず、この道雅、父さんの伊周がすごいDQNでした。現在でいう、ジャスティン・ビーバーと言えます。で、彼は2つのことをやらかしました。それは
- 時代の覇者、藤原道長に喧嘩を売って破れる
- それでムカついたので、時の法王をボディーガードに殴らせる
貴族とは思えない荒くれぶりです。きっとこんな感じで京都を歩いてたんでしょう
こんなのが貴族をやっていたのか…
パパがこんな感じだったものだから、息子の道雅の人生はハードモードが確定しました。ただ、道雅はイケメンでした!しかも歌がうまかった!!当時のモテる基準は、 身分>歌のうまさ>顔でした。歌と顔の良さを兼ね備えた道雅は、ある美しい皇女と、恋に落ちます。
秘密の恋 本来交わるはずのない2人
それが彼女
12単が私服の時代に生まれたかった…
当子内親王です。この当時の恋愛は、お忍び、かつ彼女の家に彼氏が上がりこむ家デートが基本でした。なので、当子の家で、2人は夜な夜な愛を深め会いました。こういう恋が一番盛り上がるんでしょうねえ(やってみたい)
バレる 壁に耳あり、障子に目あり
しかし、この恋は、当子の父、三条天皇の知るところとなります。当子の家の家政婦のババアたちが井戸端会議した結果、「2人が密通している」という噂が、光の速さで京都を駆け巡ったのです。
「ねえ知ってルゥ?道雅様が、最近当子様と毎日イチャイチャしてんのよ〜」
→「なんだい、当子様も盛んだねえ。あたしゃ安心したよ」
→「チョ、まじチョベリグなんですケド!」
→「ああーん、道雅様が、あんな女に取られるなんて許せないわまったく!」
…余計なことを言う奴はいつの時代もいますね
で、三条天皇は激怒します。ついでに、彼の後ろ盾である道長も、道雅が大嫌いです
別れ ロミオとジュリエット状態に
当然、2人は会うことを禁じられます。当子の家には、見張りがつきました。そもそも身分差が大きい道雅と当子、これが意味するものは今生の別れでした。
このとき、詠まれた歌が冒頭のものです。キーワードなので、もう一度載せます。
「今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
人づてならで 言ふよしもがな」
「もはや、あなたへの想いをあきらめてしまおう、という
ことだけを、人づてにではなく(あなたに直接逢って)言う方法
があったらなあと思うだけです。」
私流に訳すとこうなります
「当子、俺はお前を諦める。お前もどうか私を忘れほしい。それが一番君を大事にすることだろう。この思いを直接伝えたい、という心残りはあるけれど。さようなら。」
「離れ離れになっても、相手を忘れない」だったり、「一生君を思い続ける」という歌は、古今東西キリがありません。この思想は、特に西洋で強く、例えば映画「スターウォーズ」では、主人公アナキンは、妻パドメに会いたすぎるあまり闇落ちします。
パドメダーイスキ❤️
あーパドメに会いたいいいいいい😤
子供も○して、本当の愛を貫くぜ😁
しかし、自分から離れていく、相手を忘れる、諦めることが思いやりであると詠うのは、この歌くらいです。
「来世で逢おう」というわけでも、ましてや「君が好きだ」とさえ言わず、ただ「忘れよう」とのみ伝える。しかし当子は、どんな情熱的な愛の歌よりも、この歌から深い愛情を感じ取ったのではないでしょうか?
「1人の人を、どんなことがあっても愛し続ける」それはとても立派な愛と呼べるでしょう。
一方で、人は、「儚さ」や「もろさ」に一瞬の夢を抱き、美しさを感じます。その視点からは、愛はまた違った側面を見せるということが、道雅と当子の恋から学べました。